FC2ブログ

今日の正彦さん-高村正彦先生の発言をまとめるブログ

地元・山口より。ほそぼそと更新中

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

百田尚樹氏の講演

平成25年10月27日(日)
自由民主党山口県連政経セミナー

今年の講師は 放送作家・小説家の 百田尚樹先生でした。

演題

「海賊とよばれた男」「永遠の0」「黄金のバンダムを破った男」に見る日本人の魂


hyakuta.jpg
 

(妻は山口県宇部市出身)

山口市は30数年前に私の家内と始めてデートした所です。
実は家内は山口県宇部市出身。
私は関西ですが学生時代京都で出会いまして。
そのときから家内は 「我が家はずっと自民党や(`・ω・´)!」 と

会場 大爆笑 o(≧▽≦)o  あははは パチパチ(*≧∀≦)ノノ゙

「うちの両親は自民党以外入れたことがない!ずっと安倍晋太郎一筋!!」
それでまあ、家内からずっと
「いずれ安倍晋太郎は首相になるんだ!!」と言われ
「あ、そうか」と聞いていたが、
その息子さんである晋三さんが首相になられました。



(WiLLの宣伝)


WiLLの最新号、これの巻頭に安倍晋三論を書いています。
実は12月に安倍晋三さんと対談集が出ます。
安倍総理とは今まで2度対談させて頂いてその対談、それと僕の書いたものも含めて、本になります。
その時編集長から「安倍晋三論を書いてもらえないか、原稿20枚書いてくれ」と。
「20枚は多いなーせこいなー」と思いながら、それでも書き始めたら、のってのって。
一挙に1日で45枚書きまして。
その内容がすごいおもしろいというので「対談集に載せる前にWiLLに載せたい、いいですか?」と。
いいです、勝手に載せてください、とこれが載りました。
実は朝日新聞の悪口も一杯書いてます。

会場 大爆笑 あははは パチパチ(*≧∀≦)ノノ゙

今日ここに朝日新聞の方、いらっしゃいませんよね?

会場 あははは o(≧▽≦)o

おったらまた怒られます。

昨日私はNHKの経営委員会に名前が載り、また朝日新聞とか毎日新聞にイヤミを一杯書かれていました。



WiLL (ウィル) 2013年 12月号 [雑誌]WiLL (ウィル) 2013年 12月号 [雑誌]
(2013/10/26)
花田紀凱 責任編集

商品詳細を見る


WiLLには特に朝日の若宮の悪口書いています。
ちなみに若宮啓文(わかみやよしふみ)さん。
公の場では言いませんがここだから言いましょう。
朝日新聞の主筆。主筆というのは紙面最高責任者。朝日の134年で6人しかいないという大変な方。トップですね。
読売新聞の主筆というと有名な渡辺恒夫さんですね。
その朝日の主筆の若宮さんが何を書いていたかというと「竹島は韓国にやれよ」とか「歴代首相は従軍慰安婦に韓国に謝れ」という、これが朝日新聞のいわゆるモットーなんですが。
この方が今年の1月に朝日新聞をクビになりまして。
主筆になったら65歳定年退職はあってないようなもので社長を狙えるぐらいの位置なんです。
だからこの人が社長になったら嫌だなーと思っていたのですが。
クビになった翌月に再就職先に韓国の大学教授です。頭おかしいですよね。
韓国の中央日報は韓国で一番大きな新聞ですが、その中央日報が「朝日新聞は日本で最大の素晴らしい新聞だ。その新聞社で134年かけて6人しかいない主筆の若宮さん」だと言っていますが、その若宮さんが安倍さんの悪口をいっぱい言うんですよ。
もう韓国は喜んで、「どうです、こんなこと書いてあります」と。
だからもう彼は売国奴です。

会場 大爆笑

こんなことはテレビでは言えません。

(以降は話口調ではなく まとめ書きにしました)

(50歳で小説家に)

7年前に50歳で作家になった。
それまでは放送作家。いかにアホなお笑いをやるか。お笑い専門だった。
「あ、50歳か!」と思ったその時半世紀を振り返ってもっと他に自分に為すべき仕事があるんじゃないかと自分には似合わないことを思い、小説を書こうと思った。

どんな物語を書こうかと思った時、たまたま大正13年生まれの父が末期ガンで余命半年の命になった。
苦労して育ててくれた父もとうとう死ぬのか…と。
1年前にはおじ(母の兄)もガンで他界していた。
母の兄が3人、自分の父、みんな大東亜戦争の経験者で運よく命を存えて帰ってきた人達。
「あの大東亜戦争を戦ってきた人たちが日本の歴史から去ろうとしているんだな」
僕はその世代から直接話を聞いた世代として次の世代に残すのが使命じゃないかと思った。


自分は昭和31年生まれ。終戦から10年目に大阪で生まれた。
大阪も空襲が沢山あり戦争の跡が街中に沢山あった。
小さい時、オヤジや近所のおっちゃん、学校の先生たち、普通にほんの10年前の戦争の話をしていた。
それから50年60年経ち、あんなに私には話をしたのに、孫には話をしていない。

・ 今更、知識があまりに断絶しているので一から知識を共有するのが大変
・ 記憶が薄れてしまった
・ 二度と話したくない
思い出は色々違うのだろうけども。
戦争の話を直接聞いてきた世代として、今の若い人たちに伝えたいと思ったのが動機で「永遠の0」を書いた。


(平成で一番売れた本)

「永遠の0」は一人のゼロ戦パイロットの話。
戦争で夫を亡くした女性が別の男性と結婚し、孫は本当のおじいさんを知らない。
家族の中で話は残っていない、おばあさんも死んでいる。
孫は日本全国おじいさんの戦友を訪ね歩いて自分のおじいさんはどうやて亡くなった、どんな人か聞いて回る、ラストには60数年間封印されたなぞが浮かび上がるという物語。

7年前、どこの出版社からも「絶対に売れない!!」と断られた。
断られた理由を次のように言われ
・ 戦争物はドキュメンタリーなら売れるがノンフィクションは売れない
・ 作者が無名の新人、賞も取っていない
・ くそ長い
最終的に太田出版と言う小さな出版社が出版してくれた。

永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

商品詳細を見る


当初なかなか売れなかったが半年後に太田出版の編集者から言われた。
「この本は不思議な本だ。ふつう本は1か月経ったら返品で帰ってくるが何か月経っても返ってこない。爆発的には売れないが確実に売れていく。本屋が置いておきたい本。」

書評にも載らなかった、新聞雑誌にも紹介されなかった、口コミだけでじわじわ売れた。
しかし口コミの威力はすごくて、今年の今現時点で320万部。
平成になって一番売れた小説。まさか自分が一番売れた本を書くとは全く思っていなかった。
最初は60代の男性に売れたが、やがて読者層が下がって50代、40代、30代。
最近では20代、10代の高校生が買っている。


(若者が永遠のゼロの感想をネットに書く)

その若い読者は本の感想をSNSなどインターネットに書く。
私もびっくりしたが 「知らなかった」 という感想が多い。
自分のおじいさんおばあさんがどんな風な思いで戦い暮らしていたか、日本はどんな風に亡んで行ったか、「何も知らなかった」というのが多い。
「永遠の0」を手にして近代史に興味が出た、というのがとても嬉しい。

一方、そういう感想を聞いて自分も「そうなのか」と。
私も学生時代を思い返すとそうなのかもしれないな、と思うが、今の歴史の教育は近代史はほとんど勉強していない。
奈良時代から明治までで終わり、近代史はささっと流してしまう。
しかし一番重要なのは、この近代の100年じゃないか。
鎌倉時代にどんな制度があったか、律令制度の細かい制度の何が役に立つのか!
この一番大事な近代史をおろそかにしている。


(安倍総理大臣へのエール)

WiLLにも書いたが、第一次安倍内閣は教育基本法改正するというので敵が多かった。
教育を何とかしたいというのは私も同じ思い。
「教育こそ基本だ」と。
発展途上国は発展途上というので10年、20年したら先進国になるんだろう、ところが50年たっても発展途上。
彼らはなぜ発展途上なのか。
これは結局教育。
日本が明治維新であっという間に欧米諸国に追いついたのは教育。
一国で一番大事なのは教育。
そういう意味で今の日本の教育というのはだめで、近代史をおろそかにしている国家が世界でやっていけるのか。

さらに言うと安倍晋三さんは「戦後レジームからの脱却」、私はこれを「戦後自虐史観からの脱却」だと思っている。
教育の中で自虐史観というのは本当にひどい。
さっと行く近代史の中でも
・ 日本は戦争中こんなひどいことをした
・ 朝鮮半島にこんなひどいことをした
・ 韓国従軍慰安婦に対してこんなひどいことをした
・ 南京大虐殺でこんなひどいことをした
・ 日本はひどいことをした、謝らなければならないのか
こればっかり教育している。

確かに戦争と言うのは恐ろしい残虐行為はある。
個々の戦闘には目も背けたくなる事件もあった。
日本兵も残虐行為をした。しかしこれはアメリカ兵もしたし、中国兵もした。どこの国もやること。
例えば個々の残虐行為・犯罪行為、これは戦争中だけではない、今の日本の平和な時代でもある。
それを個々に取り出して「日本兵全体が悪かった」こういう教育は間違っていると思う。
確かに暗い歴史の裏側を教える理由も分かるし、こういうことを知らないといけないということも分かる。
ただそれはもう少し大きくなってからでいい。

義務教育の小学生、中学生、こういう純粋無垢な少年少女に
・ 日本は悪かったんだ
・ 自分たちのおじいちゃんおばあちゃんはこんなに悪かったんだ
・ だから世界の国に謝らなければいけない
・ とにかく僕らには汚い血が流れている
・ 自分たちは劣等民族の子孫である

こういうことを教える教育って日本の国力を奪うと思う。

こういうことを教えられた子供たちが立派な少年になると思いますか?ならないです。

・ 自分はだめな民族の子供だ
・ 世界に謝らなければいけない国だ
・ この国は非常に恥ずかしい
・ 日本人であることが嫌になってきた

こんなことを思う子供たちに将来立派な仕事に就いたり、自分は立派に生きようとか、誇りを持って生きようとか、思わないです。

子供たちに何を教えるか。

・ 日本人で良かった
・ 日本は誇りある国だ

そういうことを教えられた子供たちは、

「それに恥じない生き方をしよう」と思うのが当然。

僕はこういうことをしっかりとと思う。
だから安倍晋三さんにはエールを送っている。
教育を変えたいと思っている。
ごめんなさい、今日はこんな話をするつもりはなかったがちょっと熱くなってしまった。


(突然のスランプ)

コンスタントに年間2冊、3冊本を出してきた。
その時その時テーマを毎回変えて書いていたが2年前スランプ、書けない、なぜか。
東日本大震災をきっかけに突然書けなくなった。
放送作家の仕事の方でも、”探偵ナイトスクープ”の会議をやっていても笑いが起きない。
「今、誰が笑ってくれる?」
津波の映像など何度もニュースで見た。
避難所の様子、原発、流通、日本全体が「どうしたらいいんだ?」という時お笑い番組を作れなかった。
世の中が自粛ムードで「自分たちだけが花見をしてていいのか?」
こういう感情が正しいかどうかは別として「自分たちだけが喜べない」これがひとつの日本人の考え方だと思う。
今までは自分が個人的な気になったものをスッと書いていたのに書くテーマが見当たらなかった。


(日章丸事件との不思議な出会い)

たまたまそういう時に日章丸事件との不思議な出会いがあった。
ある時同業者の女性の放送作家とご飯を食べている時に
「百田さん、日章丸事件って知ってますか?」と突然聞いてきた。
その女性はある番組で“世界を驚かせた知られざる日本人”というテーマで番組を企画していた。
その時にたまたま日章丸事件にぶつかった。
実は私は恥ずかしい話、日章丸事件を知らなかった。
彼女が説明をしてくれた。

1953年(昭和28年)、7年間占領され独立から1年も経っていない、ようやく主権を回復し独立した日本。
当時日本で6番目か7番目くらいの小さな石油小売業者の出光興産が時のイギリス大英帝国を相手にまっこうから喧嘩を挑んで、大英帝国を見事に打ち破った。
実際に弾を撃った戦争ではないが完全な経済戦争、あるいは大砲を打つ一歩手前の戦争、当時の国際的大ニュースだった。
日本の小さな中小の石油小売会社が大英帝国相手にきりきり舞いさせて世界を驚かせた。


全く知らなかったので最初は彼女の話を信じなかった。
自分はテレビの仕事をしていて人よりはアンテナを張っているからと多少人よりは知識があると自負があったが全く知らなかった。
絶対に嘘だろうと思いながらインターネットで調べてみると本当のことで、「うひゃー、こんなこと知らんかったんか」と顔から火が出る程恥ずかしかった。

僕だけかな、と思い、会う人会う人に「日章丸事件って知ってる?」と聞いて回った。
そうすると知っている人一人もいなかった。
急に僕はえらそうに20年前くらい知ってるような顔をして「え?!知らんのか?!」(笑)


(これを書くために!!)

最初はこれを本にする気はなかった。
ただ、「不思議な事件だなー」と。
なぜこの事件は60年の間に忘れ去られたのだろう。

それからしばらくして、講談社のある編集者に出会った。
その人は加藤さん。
当時、講談社のお荷物部署で全然儲からない学芸部の局長。
加藤さんは左遷されてくすぶっていた。
なぜ左遷されたかというと、加藤さんは、もともとフライデーや週刊現代の編集長で、有数の週刊誌のトップだった。
やんちゃな人、ガッツがある人、やりすぎる男。
フライデー時代、週刊現代時代に、スキャンダルをばんばん書き、訴訟を40数億くらって、会社に20数億円の損害を与え、会社に怒られた。
気の毒な男(笑)

彼は自分と同学年の昭和30年生まれ大阪生まれ、すごく意気投合した。
自分は勉強が出来ない劣等生だったが、加藤さんは天王寺高校から東大出て講談社に入ったエリート。最後にコケた (笑)
加藤さんだったら日章丸事件を知っているかもしれない、と思い聞いてみたが加藤さんも知らなかった。
僕は「ほー加藤さん、東大まで行って何も知らんなー」と (笑)
悪口ばかり言ってもあれなので彼の名誉の話をすると、コンビニなどで売っているエッチな本の袋とじを考えたのが加藤さん (大爆笑)

それから2か月後、加藤さんから大きな段ボールが送られてきた。
中には日章丸事件の本と資料。
それらは市販されている本ではなくて「よぅ見つけてきたな」というような資料が山のようにあった。
それを読んでいるうち、ちょうど2年前の秋の涼しい頃だったが興奮して汗びっしょり。
体が燃えるように熱くなった。
「これはすごい!!かつて60年前にこんなすごい男たちが日本にいたのか!!」
その時初めて小説家の使命を感じた。
オーバーじゃなく、「これを書くために小説家になったのか!!」と真剣に思った。


(出光佐三という人)

日章丸事件そのものも驚嘆すべき事件だが、さらに驚いたのが日章丸事件を計画し立案し実行した出光興産の創業者である、出光佐三という男。
出光佐三の人生をずっと見ていくと背筋がぴーんと伸びる、全身がぶるぶる震えてくる。
このすごい男は32年前に亡くなった。95年の生涯だった。
95年間苦難と苦闘の歴史、一種ドンキホーテ。
「黄金の奴隷たるなかれ」20歳くらいの青年の理想を95歳で死ぬまでずっとその信念を持っていた。
とにかくこれを書こうと思った。

それまでスランプで1時間もワープロの前に座っていられなかったのが、そこから死にもの狂いで書いた。
この日章丸、出光佐三の物語を一人でも多くの読者に届けたい、この生き方を知ってもらいたい。

20数年前にバブルがはじけて自信を失って立ち直れない、ようやくこれから盛り上がるかなという時にリーマンショック、
財務省の官僚、日銀のトップ、経済学者がもう無理だと言う日本の不況。
100年に一度の大不況、構造的に無理だとめちゃくちゃ言う。
シロートは「あかんなあ」というムードになる。
そして2年前に大震災、原発の問題。
しかもここ数年韓国や中国の経済力が増してきて日本の国力が落ちてくる。
諦めムードが漂ってくる。

だけど、待ってくれ!!
財務省の官僚が100年に一度というが、100年もさかのぼらずとも68年前の日本はもっとひどかった。
でもあそこから立ち直った、絶対に立ち直れる!!

こういう思いになったのは出光佐三を知ったから。


(終戦直後の出光)

「海賊とよばれた男」本を読まれた方はあのシーンか、と思われると思うが。
冒頭は昭和20年の8月15日から始まる。
出光は栃木で玉音放送を聞き、直後に銀座に戻ってきた。
偶然にもビルは焼け残っていた。
呆然とする社員。

14年間戦い続けてとうとう負けてしまった日本。
日本は歴史上初めて負けた。
その後日本は平和な時代になったとか、復興したとか、戦争で死ぬことはなかった、というのは歴史の跡付けて知っているが、当時の生きた人にとっては絶望。
日本はどうなるの?
・ 占領軍によって日本は独立国家として体面を失う
・ 2つ3つの国に分断されてしまうかもしれない
・ 男は奴隷になるのか、虐殺か
恐怖の状況、茫然自失、どうしていいかわからない。

その時に出光佐三は
「今日は帰れ。明日一日家族と過ごし、二日後全員戻ってこい、会社に来い。」
出光は一人本社に残って瞑想する。
そして二日後東京にやってきた社員に訓示。
この手書きの訓示は資料として残っている(出光は資料を全て取っている人。)

愚痴を言うな。
愚痴は泣き言である。
愚痴は亡国の言葉である。
婦女子の言であって断じて男子のなすべき言葉ではない。
日本は確かに戦争に負けた。
しかし戦争に負けたからと言って3000年の歴史と日本人の誇りを失ってはならない。
日本は必ず立ち上がる、必ず復興する。
そして世界は再び日本に驚くであろう。
直ちに建設にかかれ。

海賊とよばれた男 上海賊とよばれた男 上
(2012/07/12)
百田 尚樹

商品詳細を見る


海賊とよばれた男 下


海賊とよばれた男 下

(2012/07/12)
百田 尚樹

商品詳細を見る


このことを終戦2日後に言ってのけたこの気力は凄いと思う。
この時出光佐三は60歳。
当時の60歳は今の80歳に匹敵する。
25歳で門司で小さな工場を開業、30数年で従業員1000人の会社にした。
戦争直後に会社の資産が全てなくなった。
戦前から戦中、官僚、軍部、政府、同業者の統制に逆らい、にらまれて日本で商売できなかった。
こうなったらと満州、朝鮮半島、中国本土、フィリピン、インドネシア、マレー半島などの海外で店を作った。
ところが日本が戦争に負けて、日本の海外資産は国も民間も含めて没収。
60歳の時、一代かけて築き上げたものが全てなくなった。
普通なら茫然自失。
そのままあっという間に死んでしまうようなショック。
ところがその時に若い社員を前に「直ちに建設にかかれ、日本は絶対に立ち上がる」と言う。
その後の8年間の苦闘の歴史というのは本当に凄い。
人間と言うのはここまで戦えるのか、働けるのか、というような苦闘の歴史。

20年の9月に初めて重役会議を行った。
「店主(出光は社長はなく店主と呼ばれていた)、出光興産は潰れます」
海外にいた社員800人が続々と日本に戻ってくるが与える仕事がない、給料もない。
会社は倒産する。
もし形だけでも会社を残すとするなら社員を全員クビにするしかない。
そうしないと会社は残れない。

当時の日本全体で失業者は1000数百万いて、三井や三菱という大財閥が10万人単位でリストラしていた。
工場も会社も何もないのだから当然。
ところが重役たちの進言を受ける時に出光佐三は

「ならん。一人の馘首もならん。全部ワシが食わしていく。」

戦前は高額納税者の貴族院議員であったが戦後GHQによって公職追放されたが、その時自分の個人資産を売って、骨董品を処分してお金を作って、60歳の男が満員の汽車にゆられて日本全国の社員のところにお金を置いて行った。

「必ず呼び戻す。それまでは耐えてくれ。」


廻れないところにはお金を添えて毛筆の手紙を送った。
社員たちは全員泣いた。

1割の社員は辞めたが9割は残った。
この残った社員が8年後に世界を驚かす奇跡を起こした。



(セブンシスターズ)

当時日本には石油は入ってこなかった。
ところが日本は朝鮮戦争があって一気に経済が復興する。
色んな繊維、金属、そういう企業がどんどん復興する。
その時初めて欧米の石油会社は「日本は大きな市場になる。」ということで石油がどんどん入ってきた。

その時の世界の石油業界はたった7つの石油会社が世界の自由主義社会の石油の8割を押さえていた。
その7つは“セブンシスターズ(7人の魔女)”と呼ばれていた。

イギリス、アメリカ以外の国がセブンシスターズに逆らったら国自体が潰されてしまう、というそれほど強大。
そういうカルテルと日本の石油会社が次々と提携した。

8割はセブンシスターズだから、当時産油国と直接取引はありえないので手を結ばないと石油が入ってこない。
しかし出光は民族主義を守る。
なぜかというと戦後の日本の復興に一番大事なのはエネルギー、当時は原子力はないので一番大事なのは石油。
この石油を海外資本に100%おさえられたら日本の復興はできない、海外の石油資本の思うままになってしまう。
何としてもこの民族主義を守るんだ、とたった一社で無謀な抵抗をし続けた。

そういう状況の中、昭和26年から27年、中東のイランで大事件が起こった。
当時のイランは世界最大の石油埋蔵量と言われた(現在はサウジアラビアと言われている)。

そのイランの石油をどこが押さえていたかと言うとイギリスが押さえていた。
イギリスのアングロイラニアン、現在のBP・British Petroleum(ブリティッシュ・ペトロリアム)。
先程のセブンシスターズの一角で、上位3つのひとつ。
そしてアングロイラニアンの株式を持っているのは51%イギリス政府。


(アングロイラニアンの歴史)

1900年代の初めにイランで油田が発見された時に当時のイランの王様を騙して石油の権利を全て手に入れた。
当時石油はそんなに凄いと思われていなかったが、その後動力革命が起こって軍艦は石炭から石油に代わる、そしてアメリカで自動車が発明される、石油の需要が爆発的に上がっていった。
「石油の一滴は血の一滴」という標語が示すように第一次世界大戦で一番必要だったのは石油。
ドイツ軍もイギリス、フランス軍も石油で戦った。
当時両方の国に石油を供給していたのがアメリカ。
アメリカの石油で第一次世界大戦は両方の国が戦っていた。
そしてフランスはアメリカに「とにかく石油をくれ、石油の一滴は血の一滴」と言い全世界で有名になり、日本も戦争中にその標語を使った。

その時イギリスの海軍大臣だったのがチャーチル。
この時海軍大臣のチャーチルは「イギリスは世界最大の海軍国になる、7つの海を支配する軍艦を持っている、そのエネルギーで必要なのは石油である」
イギリス政府はその石油を自由に使いたい。
それでイランの石油を全部押さえていたアングロイラニアンの石油株式をイギリス政府に働きかけて国営会社にした。
イギリスはその会社を持って莫大な富を得た。

ところが戦後、アジア、アフリカ、南米で植民地がどんどん独立する。
イランは戦前から独立国として認められていたが、自国の石油を全てイギリスに押さえられている、実質植民地というひどい扱いをされていた。
しかし戦後、おかしいじゃないか、自分たちの国の資源をなぜ自分たちが自由にできないのか、という運動が盛んになり、モサッデクという首相が表れて国会を通してイランにおける石油の国営化を法案で通してしまう。
その時点でイラン国内のアングロイラニアンの石油施設は全部イランが没収した。

イギリスはかんかんになって怒って一時は軍隊を差し向けてイランを完全制圧しようとしたが、戦争が起こると言うことでアメリカが「待った」をかけた。
イギリスが軍隊を差し向けた途端にモサッデクはソ連に援助を求めるだろう。
ソ連は戦前からイランの石油を狙っている・国境も接している、当然ソ連がやっている。
そうすると、イギリスとソ連の代理戦争になる。
ちょうど同じころに朝鮮戦争で中国とソ連との代理戦争をしていたアメリカには余力はなかった。

そこでイギリスはイランに対してアラビア海に軍艦を送り込んで会場を封鎖した。
さらに世界に向けて、「イランの石油はイギリスのものであるからどこも買ってはならない」と通達を送った。

そんな状態の中でイタリアのある石油会社が無謀にもイランの石油を積みだした。
そしてローマに戻る途中イギリスの軍艦に追跡されて公海上で拿捕され、そのまま石油没収。
これでイタリアの会社は倒産寸前の大損害。
イギリスはさらに怒って「今後イランの石油を積みだすタンカーについてはイギリス政府はありとあらゆる手段を取る」とさらにヤクザ顔負けの通達を出した。
つまり 「しずめるぞ!!」 (笑)
(この恫喝の言葉は当時の日経新聞に載っていた)
それで世界は一度に腰が抜けてしまった。


(日章丸事件)

その時にたまたま出光佐三のところに同郷福岡出身のブリヂストンの石橋正二郎が「あんたのところ、イランの石油を買わんか?多分安く買えるぞ」と言った。
その時出光は「うちは盗人の石油は買わない。イランの石油はイギリスのものだ。イランはそれを盗んだ」

ところが出光の重役たちが50年間の石油流出をレポートにして出光に渡した。
それを読んで出光佐三は考えが一気に変わった。
「泥棒はむしろイギリスではないか」
実際にイギリスは初期投資の何万倍という利益を得ていた。
毎年純利益を上げるがその利益の16パーセントしかイランに還元していない。
その16パーセントはほとんどイランの王の一族だけで一般国民には何も入らない。
アバダンと港町に石油最大の製油所があったがそこで働くのはみんなイギリス人。
劇場やゴルフ場など素晴らしいものがいっぱいある町で一番下っ端で働くイラン人はその町の郊外で貧しい暮らしをし、辛い下働きをして絶対に出世できないという状況。
出光はそれを知ってかんかんに怒って「イランを救うのは出光しか出来ない」と無謀な決断をする。

重役たちは大反対をして「止めて下さい、イギリスは本気です。拿捕されたら100パーセント倒産します。」
出光には日章丸というタンカー一隻しかない。
そのタンカーを造るのに20年ローンで作っている、ほとんどローンを払っていない。
ところが「やる」と。
「イランを助けるのは、同じアジア人の日本人にしか出来ない」
その時出光は68歳。
社員も「そこまでやるなら頑張りましょう」と社員一丸になって日章丸事件のプロジェクトに邁進した。

ところが当時の日本とイランには国交がない、つまりイランに入れない。
1年前にサンフランシスコ講和条約で講和した国とは国交が回復したが、回復していない国が沢山あり、国際法上の建前上はイランとは交戦状態。
そんな中スパイ映画みたいに社員たちはイランに潜入していく。
信じられないような交渉事を繰り広げて、とうとう契約を結ぶ。


(三つのハードル)

ところが実際にその貿易を成功させるためにおそろしいハードルが三つあった。

【LC(信用状)】
手形のようなもの。
この信用状を出さなければいけない。
当時の東京銀行の重役に「できない」と言われた。
ところがその重役はインチキの裏ワザを教えてくれた。

【保険】
東京海上火災の重役は全て知った上で保険を通した。

【ドル】
昭和28年当時のドルは国から出さないというのが日本の方針。
当時の日本は食料さえも他国から買わないといけない、買うためにはドルが必要。
一般個人が旅行をするとドルが出ていくので昭和39年まで海外旅行は出来なかった。
貿易をするのにもそれが日本にとって必要かどうか認められて初めてドルが使えるという非常に厄介な状況だった。
出光が通産省に行って「ドルをくれ」と言いに行ったら、通産省の官僚は「イランの石油を買う国があるとしたら日本しかない。もしやるとしたら出光さんあなたしかないと思った」と言ったが完全な法律違反。強引に通した。

三つの関門を通り抜けていよいよ日章丸事件が起こる。


(日本の復興)

今回ずっといろいろ調べて本当に感動した。
銀行家、保険会社、通産省の官僚、3人すべて実名で書いた。
彼らが自らの保身、自分の立身出世、これを考えたら絶対にやらない。
完全に法律違反で自分のクビだけでは済まない、自分の属する会社や企業が大変なことになることを分かっていながらやってのけた。
なぜか。

このプロジェクトは絶対に日本の為になる。
日本は7年間も占領されていた、しかし再び国際社会に打って出たい。
そのためには何としても日本の産業、経済の復興、これは必要だ。
みんなそういう思いで自分のクビをかけた。

今、こんな銀行、こんな保険会社、こんな官僚がおるか??

日章丸事件というのは本当に奇跡。

そして最終的には日章丸事件は60歳の新田船長、これが15歳から海で暮らした海の男、45年間海で暮らした男。
戦争中も日本の軍事物資を運んだり命がけの航海を何度もした。
この男がアバダン港に突入して入って世界中に驚かれた。
当時の新聞では連日一面トップ記事、イギリスはかんかん。
そしてイギリスの軍艦の追跡をすべて巻いて5000キロ離れた日本に石油を持って帰った。
イギリスは訴訟を起こすが最終的に引き下げ、出光の全面勝訴となった。
これが日章丸事件。

でもこれは出光佐三の95年の生涯の中で一ハイライトに過ぎない。
もっと劇的な事件も沢山ある。

海賊とよばれた男で結果的に出光佐三の物語を書いたが、これは出光佐三の英雄物語ではない、出光興産を称賛した物語ではない。
これは当時の昭和20年代30年代に日本が立ちあがった、この素晴らしい男たちの象徴に過ぎない。
出光佐三が一人凄くても出光興産の社員が1000人どれほどの侍がいたとしてもそれだけで日本は復興できない。
日本がこれだけ復興したのは、その背後に、何千万人という無名の出光佐三のような男がいたから。

日本の復興というのは本当に奇跡。
昭和20年の日本は世界最貧国。
東京は焼野原。大阪も全部そう。何もない。
昭和20年の5月にアメリカ軍は東京を爆撃防空リストから外した。東京に爆弾落としても無駄。それくらい燃えた。
それまで日本が何十年もかかって作り上げた会社、ビル、工場、一般民家も全部燃えた。
何千万という人が家さえなかった。
食料自給率も60%くらいしかない。
もっと運の悪いことに昭和20年は未曽有の大飢饉で本当にコメが取れなかった。

これはゼロからのスタートではない。
日本は戦後莫大な賠償金を収めたのではるかマイナスからのスタート。

連合軍は日本の悲惨な状況を見て「おそらく日本は50年たっても昭和5年当時の生活水準に戻らないだろう」、それくらい貧しかった。

ところがその国がわずか20年もたたない昭和39年に東京オリンピック開いて、新幹線を通した。
その時点で戦勝国であるイギリスやフランスを追い抜いて国民総生産アメリカに次ぐ世界第2位になった。

これ、どんだけ働いたか?!

日本はイランみたいにもともと石油を持っててそれを売るような資源何もない。自分の食べるものさえない国。
その国が国民総生産でアメリカに次ぐ第2の大国になった。

その金はどこで儲けたか?

日本はなけなしの金をはたいて世界各国からいろんな資源、石油や鉄、アルミ、ゴムを買った。
そして買ったものを日本で加工して製品にして組み立ててそしてそれを世界に売る。
そしてそのわずかな差額の儲けを蓄積して世界第2位の大国になった。
どれだけ働いたか、と思う。


(大正生まれ)

永遠の0を書いて気付いた。
大東亜戦争で戦った男たちはほとんどが大正生まれ。
先程戦争で300万人死んだと言ったが300万人のうち一般市民(原爆や東京大空襲)は70万人死んだ。戦場で倒れたのは230万人。
このうちの200万人が大正世代。
大正はわずか15年で男が1350万人。
1350万人のうち200万人、平均6~7人に1人死んだ。
さらに言うと大正の後半、大正8年以降になると、3~4人に1人死んだ。
これほど悲惨な世代はない。

しかも大正の世代というのは何もいいことなかった。
物心ついた時から戦争、贅沢を味わう時間も余裕もない。
ひたすら軍国主義に走った。
暗い時代を過ごして20歳になった時徴兵で戦争に行った。
戦争に行ったら片っ端から地獄を味わった。
満州、インパール、ビルマ、硫黄島・・・
自分の同級生、先輩、後輩、弟、兄、次々死んでいった。

そして生き延びて日本に帰ってきた、帰ってきたら何もない。
その国を誰が立てなおしたか。
戦争で帰ってきた男たちが立てなおした。

昭和20年の時の大正世代の男たちというのは20歳から34歳、最も働き盛りの男たち。
女性も一緒、200万人の女性が夫を失い、恋人を失い、兄を失い、弟を失った。

私の父も大正世代。
大正世代を強引に一言で言うと 「人のために生きた世代」 だと思う。

今、日本は非常にやっかいな不景気でかつてのような景気がない。
若い人が「僕たち若い時から何もない。あなたたちはバブルも経験している。僕らは地獄のような世界を住んでいる。」
それを聞くと本当に情けない。

何が夢も希望もないんだ。
今いる地点がどれほど豊かか分かっていないのか。
68年前君らのおじいさんの世代はどんな思いで生きてきたか。
今、君がいるところはゼロ地点ではないんだ。
過去の先人が築き上げたところにいるんだ。
ブランドバックから携帯電話取り出してしゃべっているそんな国、どこにあるんだ。

ごめんなさい、若者の愚痴を言いました(笑)。


(今、57歳ですが…)

昭和31年生まれで当時は貧しかったが、それでも今思えば本当に豊かな世代に生まれた。
僕らの前の世代が死ぬ思いで、豊かな日本を作ってくれた。
豊かさをほおばり食ってそして後に何も残さない、こんなことをしたら父親に笑われる。
情けない、顔向けできない。

父親世代のように立派な生き方は出来ないけれども、少しでも先人たちが残してくれた豊かさをわずかでも底上げしたい。
出来なかったとしたら何としても豊かさを維持したまま次の世代にこの日本を渡していきたい。
ようやくこの年になってそのことに気付いた。
あと何年生きるか分からないが少しでも日本の為にやれることがあったらと考えている。

(終わり)


【管理人コメント】
1時間20分にも及ぶ講演で、書き起こすのも一苦労でしたが、とても良いお話でしたので頑張って書いてみました。
百田先生流に言うと「くそ長い」記事になってしまいました。
やっぱり冒頭、奥様のご実家の話で、聴衆のハートはがっちりと掴まれてしまいましたね(^_-)-☆あとは百田ワールド全開でした(*^_^*)



スポンサーサイト

高村正彦公式サイト

koumura_masahiko.jpg

自由民主党公式サイト

jimin_01_200x50.gif

自民党山口県連公式サイト

自民党山口県連facebook

本のご紹介です

高村正彦「真の国益を」
高村正彦「真の国益を」大下 英治

徳間書店 2010-11-30



Amazonで詳しく見る
by G-Tools

動画チャンネル自民党カフェスタ

カフェスタ

検索フォーム

QRコード

QR

プロフィール

NN

Author:NN
後援会スタッフです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。